セキララブログ

腐女子の赤裸々な雑記。イラスト描いたり萌えたり落ち込んでみたりと色々やってます。ブログを通じていろんな人と交流したいなあ。古い記事でも一言コメントしてもらえるとうれしいです。

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夫婦が不仲でも子供をスポイルしないことは可能か?

2009/08/03 01:38 [Mon]
ここ数年母親の愚痴をよく聞かされるようになった。
子供に親の愚痴を聞かせるというのは本当はよくないことだけれど、自分たち親子の場合はこれはまだいい方で、関係が改善されてきてはいるのだと思う。
もっと前なら、きちんと文章化されず不合理な八つ当たりをされていたから。
皿を洗っていないとか、靴の脱ぎ方が汚いとかいうことに、それ相応でない怒りかたをしていた。
もちろん私が悪くて怒られて当然なところもあったけれど、自分の虫の居所が悪いときばかり私の粗を指摘するので、私のために怒ってくれたというよりも、八つ当たりの的にされたという印象しか残っていない。
なにより、気が狂ったかのような金切り声と血走り見開かれた眼を見て、自分が愛されているとか見守られているといった感覚を持つことができなかった。
そして今は私も上記のようにこうこうこうだからつらかったと文章にすることができるようになったのである。
つらいという言葉すら出てくることのなかった当時と比べ、いろいろなことを文章にできる、意識できる、考えられるいまって本当によくなったと思っている。

それで今日も母親の愚痴を聞かされた。
その愚痴の内容というのは私の父親のことが中心となっている。

私の父親と母親は別居していて、私は母親と二人で暮らしている。
父親はときどき私の家へ来て夕飯を食べたり、家族で外に食べに行ったりとそれなりに継続した交流はある。
昨日も父が3人で飲み屋に行こうと持ちかけたけれど、疲れていて面倒だったので私は行かないことにした。
父と母は仲が悪いのでいつもならここで話は頓挫するのだけれど、今回は二人とも用事があったのでめずらしく二人きりで食事をすることになった。
まず、私が参加しなかったということで父の機嫌は良くなかったのだろうと思う。
そして私の父は元々も良くないが、酒が入るとさらに機嫌が悪くなり、態度が大きくなり、口が悪くなる。
飲み屋で子供が騒いでいたこと、それに対して店員が「かわいいですね」とおべんちゃらを言ったこと、自分が店に入ったときに出迎えなかったことなどが気に入らず、「ここは下町の下品な店だ」などと文句を言っていたらしい。

まあ、クソ親父だけどここまでは私に関係ないことだからいいとして。
本題は、「私と姉がこうなった(※)のは全部おまえ(母)のせいだ」なんて言ったらしいこと。

※姉は学生時代不良で色々問題を起こしていたらしい。歳が離れているので私はあまり良く覚えていない。そして結婚してからも両親からお金を支援してもらっている。私のほうはニート・ひきこもり・メンヘラ予備軍。


母は「そんなのってひどいと思わない?自分は何にもしてくれなかったのに」と私に愚痴っていた。
私も「ひどいね。自分は何もしないっていう悪い親なのにね」という感じに同意しておいた。
内心では「あんたも悪いんだよ」って母を責めたかったけど、私は人を追い詰めたりしないのだ。やさしいから。
いや違う、「あんたも悪いんだよ(だからなんとかしてくれよ!)」なんて言ったところで何も期待できないから、いままで親に何かを期待するなんてことを知らなかったから。

先ほどの父の性格の悪さ、酒癖の悪さを抜きにして、この件だけを取り上げると、父も母もどちらも同じ位のクソ親だ。
どっちも「おまえのせいだ。(自分は悪くない)」っていう押し付け合い。
母は私に愚痴ることで「あなたは悪くない」って言って欲しかったわけだし。
どちらも自分の非を認めることを恐れている。
この人たちほんとはすごく子供だし、心が弱いんだなということにここ最近(といっても数年前)気付いた。
そしてこの人たちって仕方がないんだな、そりゃあうまくいかないだろうなってある意味腑に落ちた。

二人のことは腑に落ちたんだけど、この私自身のもやもやは取り残されたまま。
何かが腑に落ちなかった。
でも今日“その何か”がわかってしまった。

いままで親に何かを期待するなんてことを知らなかったって書いたけど、今何をして欲しいのかすごくはっきりとわかった。
そのためにこの文章を書いている。

私、両親に「今までつらい思いをさせてごめんね」って言って欲しかったんだなって。
母の文句をハイハイって聞いてる私を見て「おまえってほんと我慢強い子だね」って母へのあてつけで言ったり、「お父さんってほんとひどいよね」って私への慰めと見せつけて結局自分擁護するんじゃなくって。
私のために自分の非を認めて欲しかった。

私はそれだけで今までのこと全部許せるような気がする。
そして大泣きしちゃうだろうな。
現にさっき泣いちゃったし。

なんだかんだで私は親から愛されたいのだろうな。
ただどういう風に愛されたいのか自分でもわからなかった。
メディアによく流れるべたべたした親子愛、家族愛といったものには吐き気を催すし、今までのことをなかったことにしてこういう家族愛を演じられたら耐えられないだろうなって思っていた。
最近3人で住む予定なので、妙にうまくいったらいやだな、それなら今までよりもっとひどいことになって完全に家族崩壊してしまうほうがいいなんて考えていた。
「今までつらい思いをさせてごめんね」って言って欲しいなんていうささやかな願いで心底ほっとしている。
吐き気を抑えながら、どろどろべたべたした愛を食べなきゃ私は満たされないのかって不安だったから。

きっと両親が私に「今までつらい思いをさせてごめんね」と言ってくれる日は来ない。
(いや、介護でもして死ぬ間際ぐらいには言ってくれるかもしれない)
だけど、このささやかで不可能な願いに気付いた、意識化できたというだけで不思議と満たされた気持ちになっている。
言霊の力なのか、私の空想力の強さなのかはわからないけれど。
少なくとも半分は満たされて、残りはどうなるのか、満たされるのか満たされないのかどっちに転ぶのかちょっと楽しみだなーぐらいの余裕がある。
そのどっちに転ぶのかを見届けるためだけに両親の介護をしてもいいかもな……っていうのはちょっと言いすぎかな。
あまりいろいろ背負いたくないもんねー。

夫婦が不仲である場合、子供がスポイルされる可能性って高いんじゃないかなと思う。
うちの場合は、どちらにも人格に問題があるから不仲というのもある。
子供を育てるとか、愛するといったことにそもそも向いていない。
そして夫婦がいつもお互いのことにとらわれているので子供のことにまで気が回らない。

子供のいる夫婦で、夫婦仲がうまくいっていないなんていうことがあったら「いつも喧嘩ばかりして嫌な思いをさせてごめんね」と声を掛けてあげることが大事なんだと思う。
悪いのは自分たち大人で、子供のあなたは何も悪くないと切り離してあげて欲しい。
でも夫婦が不仲だと夫や妻に頼れない分、子供に頼ったり味方につけようとしたりするんだよな。
マザコンも夫とうまくいかないから、子供と擬似恋人関係を結ぶってことなんじゃないだろうか。
私の母が若い男性に世話焼き女房的に振舞っているのを見るとうすら寒い気持ちになる。
もし私が男の子に生まれていたらもっとスポイルされていただろうな、怖っ!

そんなわけで夫婦が長期に渡って不仲という環境で子供をスポイルしないというのはとても難しいことだと思う。
よっぽど心が強いとか、子供に自分の欲求不満をぶつけてはならないと自覚を持っているとかじゃないと無理。
自分が満たされなくたって、子供は満たしてやらなくてはならない。
そして子供で自分を満たそうとしてはならない。

子供の立場にしろ、親の立場にしろ家族をやってくのって大変なこと。
内面がボロボロになりながらも、家族に縛られ続ける。
ほんと家族の絆ってすばらしいよねっ☆
と皮肉のひとつも言いたくなるよ。ハァ。

この世の中、幸せな家族がスタンダードで幸せな家族のほうが多いらしいっていうのがとても信じられない。

村上春樹『ノルウェイの森』 他者とのつながりは世界とのつながり

2009/07/21 05:36 [Tue]
ノルウェイの森 上 (講談社文庫) ノルウェイの森 下 (講談社文庫)  パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)


岡田尊司『パーソナリティー障害』のシゾイド人格障害のところに『ノルウェイの森』ってシゾイドっぽいよと書かれていたので淡い期待をしながら村上春樹初体験をすることになった。

そうそう福永武彦『草の花』も例として挙げられていた。
『草の花』は私のヨコシマな興味から既に読んでいたものだったし、どっぷり嵌った本だったので取り上げられていてかなり驚いた。
そっかこれもスキゾイドなのか、やっぱり私はスキゾイド的なものに惹かれていっちゃうのかなーと。
『草の花』とかメジャーでないものを例に持ってくるあたり、しかも私がそれに嵌ったってあたり、岡田尊司ってスキゾイド感覚に理解のある人なんじゃないかと信頼し始めていた。
その他の部分でもかなり好意的に書かれていて泣きそうになっちゃったよ。
(『草の花』についてはいずれ機会があれば書きたいけど、好きすぎて書けないよっていうよくわからないツンデレ性能を持っているのでいつになるかはわかりません。)

そういう経緯があったので『草の花』が当たりなら『ノルウェイの森』も当たりなんじゃね?と淡い期待を持って読んでみることにしたんです。
逆に言えば、物凄い期待ではなくて、淡い期待ってことはどこかに嫌な予感もしていたってことになるかもしれない。



……うん、そう。あんまりピンとこなっかったんだなーこれが。
登場人物が主人公ワタナベ君に警句のようにアドバイスしたり、ワタナベ君が色々考えて答えを出したりするんだけど、どれも既存の枠の中にあるもののような気がして、ズガーンと青天霹靂脳天直撃みたいな衝撃を感じることはなかった。
むしろ息苦しさを感じるぐらいだった。
私が本に求めるものってのがたぶん抑圧されている無意識に気付かせてくれること、抑圧の存在を気付かせてそこから解放してくれることにあるからなんだと思う。>『ノルウェイの森』が自分に合わないのは。
私は超越とか、解放とか、許しとか、エロスとかそういった類のものを求めている。

エロスといえば、この小説セックス描写や性的な会話がこれでもかというほど盛り込まれているのにまったくエロくなかった。
「セックスなんてあたりまえの行為なのよ。全然いやらしくなんかないのよ。いいのよたくさん出して」って感じで。
「僕は彼女のヴァギナにペニスを挿し入れるとすぐさま射精した」みたいな性教育の教科書のような文章にはエロを見出せないよ。
エロへの抑圧があればあるほどエロは引き立つんだなーと思った次第。

プライベートな場ではない、ベッドルームやエッチな雰囲気ではない、素の状態での性的な会話がやけに目に付く(特に緑さん)。
それで思い出したのはよしながふみの漫画。
二作しか読んだことはないけど、日常での性的な会話がなんか不自然だった。
「セックスなんて当たり前。そんなクールで都会的なワタシ!」みたいな自意識に満ちている様に感じて嫌だった。
それと同じ不快感が『ノルウェイの森』にもあった。
抑圧や恥じらいのないエロは萌えねーよ!

『ノルウェイの森』ではセックスは萌えさせるためじゃない、もっと象徴的な意味を持っているといのも確かにある。
ネタバレなのでこの先追記にしました↓

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留年生活〜学校へ行こう!(嫌だけど)〜

2009/06/19 00:32 [Fri]
留年生活といっても私の場合前年とほとんど変わらない。
トモダチイナイカラネ。

違うことと言えば去年の前期は卒業充足単位がまだ残ってていくつか授業に出ていたということがひとつ。
今年は卒論指導の先生のゼミに出ているけど、単位は充足しているのでさほど切羽詰った感はない。
あとは去年はクラスメイト的な存在の人と卒論指導の度顔を合わせていたことかな。
友達とか作っている精神的余裕がなくって、その人と付き合いは二年ぐらい会ったのに心を開けずなんか悪いことをした。
今年も卒論指導を一緒に受ける人が私のほかに二人いるのだが、学年が違う(正確には入学年度が違う)ので自然に距離がとれる。
友達じゃなくっても自然というのがお互いの共通認識なのでそこんとこ楽です。
しかし先輩とか言われると複雑な気分だ。
私は君よりダメだから先輩やってるわけなのだよ?

そうそう前回の卒論指導でアルバイトの話題で盛り上がってて蚊帳の外だったな。
「先輩は今まで何かアルバイトやってましたか?」
と聞かれて、
「いや、やってない」
とかバカ正直に答えてやんの。
相手もこんな答えは想定外だっただろう。
やっぱり私って普通の若者の在り方から相当外れているんだなとしみじみ実感する。
早くこの場から消えたい!と思った。
フツウノワカモノコワイヨコワイヨー。

卒論指導もひと段落着くと先生に夏休みに息抜きするようにと三回ぐらい念を押される。
そんなに私はアレな感じなんだろうか。
真剣な顔で言われたし。
後輩二人は夏休みの遊ぶ計画で盛り上がっていて、「この人たちについてってもいいし」なんて言ってるし。
いやーそれは息抜きにならないよ。むしろストレスフルだ。
でもまー自分にとっての息抜きを考えてみようかなぁ。家にこもる以外のことで。
大きいもので一人旅、小さいもので一人散策かな。

とまあこれは二週間ぐらい前の話。
もっと遡って5月のゼミでの発表でイヤ〜な感じのすることが起こった。
私は前々から発表は苦手で、説明しているうちに段々舌が回らなくなり、喋るスピードが落ちて言葉が絶え絶えになるという現象が私の体に起きる。
それがこの前の発表では説明しているうちに段々意識が遠のくにグレードアップしていた。
変な汗を多量にかき、顔が火照る。
私の様子がおかしいのに気付いて、斜め前の生徒がチラッと私を窺う。
ああ、はやく終わらせないとこのままでは本当に失神してしまう、と焦る。
息も絶え絶え、意識の朦朧とする中なんとか発表し終わり、質疑応答の時間になると憑き物が取れたようにスーっと回復してゆく。
一体なんなんだこれは。

みんなの前で意見を言うとか、質問に答えるとかは全然平気。むしろ質問するのは好き。
そこで考えられる理由は二つあって、
私はおそらく普通の人より会話をすることが少ないので、普段使わず衰えている呼吸器官および筋肉を使うためずっとしゃべる続けるってことが困難なのかもしれない。
それから人前で何も反応が返ってこない状態でしゃべり続けるとどんどん不安が蓄積していくような感じがする。
誰かに向かってしゃべっているはずなのに、だんだん周りがなくなって虚空に向かってしゃべっているような感じがしてきて怖い。
おしゃべり機能を鍛えるためにときどき朗読とかやっているんだけど、その時はこんな症状はでないので長くしゃべることよりも、この無反応の聴衆の前で話すというところに問題の根源があるんだろう。

でもどーしようもないな。先生に相談して発表形式を変えてもらうとかは最終手段だし。
私にできるのは最近やってないので日常的に朗読することと体調を整えることだ。
前回の記事の貧血のようなめまいとも関係がありそうなので、自律神経失調症の改善に向けてなにかやってみる。
やってみるというか今やっているんだけどね。
どうか今度の発表で失神しませんように!アーメン。
(そういや失神ってキリスト教が語源っぽいね)

セントジョーンズワートは西洋弟切草なんだってさ

2009/05/25 01:26 [Mon]
ゼミの発表で資料に当たっているうちにおもしろいものを発見した。
世界のお守り大全って本なんだけど、そのなかに「聖ヨハネの草」というのがあっ て英語だとセント・ジョンズ・ワートとなっていた。
あ、これ薬局やらネットで見かけたセントジョーンズワートじゃん!と興味を引か れたので詳細を読んでみた。
今だとストレス社会の要請だかで服用されているけど、魔除けとしても使われてい たらしい。
そんでこの植物がなんで聖ヨハネの草なのかというと、ヨハネが首をはねられた時 にかかった血が葉の表面の赤い斑点として残ったという伝説からなのだそうだ。

あ、れ?なんかデジャブ。
あれだ、弟切草、ゲームの!
兄に弟が切り殺されて血が降りかかったってヤツ。
あれと一緒じゃん、じゃあセントジョーンズワートって弟切草なの?と疑問に思い 検索をかける。
と西洋弟切草となっていた。
ついでにオトギリソウをwikiでみると「この草を原料にした秘薬の秘密を漏らした 弟を兄が切り殺したという平安時代の伝説」なんだそうだ。
偶然の一致なんだろうか?
気になって仕方がない。

こんな調子で楽しいんだけど、どんどん色々なものを関連させてっちゃう、挙句に は飛躍しちゃうというのが悪いくせのようで、卒論の執筆に取り掛かる前に構成が ハチャメチャになったというのが去年の敗因。

楽しいとか言ってる場合うじゃなかったわ。
そこは反省しないといけない。
なんか病的な気もするし。論文は集中して掘り下げなきゃいけないのにどんどん広 がって誇大妄想っぽくなっちゃうのは。
指導教授に「それは飛躍しすぎじゃない?」と言われて、自分って誇大妄想を持っ た変人っぽかったかなと恥ずかしくなった。
統合失調症の症状のひとつの関係念慮ってやつに近いのかなーと疑っている。
例えば、何気なく選んだ本がぴたりと自分にフィットすると、私はこの本を選ぶべ くして必然的に選んだ、私が必要とする情報は自然とやってきて私を救ってくれて いるという気がしてしまう。
人に対しての被害妄想はほとんどないと思うけど。

あーセントジョーンズワートでも飲んで心を落ち着けようかな。ご縁があったと思 って。
最近くらくらして貧血っぽいなと思ってたんだけどこれも自律神経失調症の症状ら しい。
春になると体が興奮状態に入るみたいで微熱が続く。
成人した辺りから毎年恒例の〜、みたいになっている。
体が興奮状態になってる感じというのも交感神経が過剰に働いてるということみた いだ。
今ヘム鉄飲んでるんだけど、貧血状態が改善されない。
自律神経が原因だから効かないってことなんだろうか。

セントジョーンス→セントジョーンズ
09年6月24日訂正。
勘違いしていた

「スッキリ!!」の後ろの絵って……

2009/04/17 11:00 [Fri]
ずーっと気になって気になって、番組内容なんて頭に入ってこないぐらい気になって。
そうじゃないかな〜、いや絶対そうだ、う〜んでもまさか、とぐるぐる逡巡。

やっと解決しました!
やっぱり!!
http://www.ntv.co.jp/sukkiri/contents/gallery/2008/11_hagiomoto/gallery.html
http://www.ntv.co.jp/sukkiri/contents/gallery/2008/12_hagiomoto/gallery.html

遠目だとアシジンに見えるけどテリー伊藤だったの?ていうかよく見ると三日月の傷があるからやっぱりアシジンなの?
ということは、加藤浩次のほうはもしかしてグリンジャなの?
ええ!?すっごくバ(ry
このアホの子っぽいグリンジャいいなー。

このブログまだ生きています

2009/04/16 18:40 [Thu]
弱々しいファイティングポーズ。

勝とうなんて思わないさ、負けでも華々しく散ろうなんて勢いもない。
そんなとりあえずのファイティングポーズ。

向上心も目的も無いよ。
さあ何しようか。



とりあえず近況とか書いてみる。

さて、新学期ですね。

………えへへ、留年しちゃったw

さほど落ち込んじゃーいないんだがやる気でねぇです。
卒論の集まりで新4年生にバッてガン見されてちょっといたたまれないっす。
卒論指導が去年と同じ先生なんだが、今年はたくさん生徒を抱えるらしく(といっても3人+部外者1人)その子たちに会うのが心労です。
普通に元気で明るい大学生で、普通じゃない私はすっごい疲れる。
こういうのを目の当たりにすると、私という存在はなんて不自然でギクシャクしてるんだろうってしみじみ思うんだわ。

今年は飲み会もやるからとか言ってるし。
やるなら楽しいゼミの方がいいでしょって。
すごくいい先生で尊敬もしているんだけど、私は飲み会に馴染めないだろうってのを読み取って欲しかったな。
はあ、どうやってうまく断ろうか。

ブログいじりました

2008/11/07 00:48 [Fri]

業務連絡(?)がふたつほど。

ひとつはブログ応援アイテム内の変更。
ぶろぐひろばはあまり意味がないような気がする&いちいちランキング見るのめんどうなので撤去しました。
今まで応援してくれた方ありがとうございます

それからブログ村のカテゴリを人格障害に変更しました。

一貫したことをやれてなくてカテゴリどーしよーかなと思っていたし、カテゴリに当てはまるために無理して記事を書くのもどうかなと思ってブログ村のカテゴリにはもやもやしていた。
しかも三つしか選べないのよー。
イラストに映画に小説に漫画に…とこれだけでも四つだ。
最近トラックバックもめんどくてパッと記事をアップしてしまうので、ブログ村に参加する意味がない気がしてきた。
集客とか宣伝とかコミュニティーとかを積極的にやるパワーがない……。

でも最近メンヘルな記事ばっかり書いているし、人格障害っていうのは私のブログ全体を説明しているかな、と思うのでテーマにしてもこれから記事を書くのに束縛感はなさそう。
ただ“自称スキゾイド”なのでいいのかなとまたもやもやしてしまうが。

もうひとつはコメントを承認制にしました。
アダルトなスパムコメントの処理が追いつかず、あっというまにブログが汚染されちゃうのでね。
明らかなスパムでなければ承認して表示しますので、今までどおりにお気軽にコメントしてください。
織日屋の気に入らないコメントは消すわよ!という方針にしたわけではありません

他人だからいいのかも

2008/10/21 19:15 [Tue]

今日は授業のあと事務に書類を提出する。
事務には苦手なおばさんがいて少々苦い気持ちを持ちつつ訪れる。
ウツウツの時期、履修を取り消しまくって「こんなに減らしてほんとに大丈夫なの!?」ときつく問い詰められたりしてこのおばさんが少々怖くなってしまった。

例のおばさんに当たりませんようにと思いながら事務に話しかけると遠慮がちで丁寧な女性が対応してくれて心底安心した。
安心と少々の幸福感もある。

私はこういうお互い遠慮する全くの赤の他人とのコミュニケーションが結構好きだったりする。
親密な関係よりも。

遠慮がちな人に道を教えたりするの好きだ。
遠慮がちな接客が好きだ。
授業でちゃんと私の話を聞いてくれた人が好きだ。
ひどいときは多幸感に包まれその時のことが忘れられなかったりする。

某有名ホテルの物腰の完璧な美形のホテルマン。(芸術の域だった。職人芸なのでこれはまた別なのかもしれない)
英会話でよくペアになった天使のように明るい女の子。
憲法のディスカッションで私なんかの話を真剣に聞いてくれた人のよさそうな明るい太った男の子。
素敵な笑顔のコンビニのお兄さん。
閉店時間に近いのに嫌な顔ひとつしないで丁寧な対応のケーキ屋のお姉さん。

ひとめぼれなのかな。うーん。
でも付き合いたいとかじゃないし。
こんなわたくしめに慈悲をかけて下さるのですか、嗚呼って感じかな(笑)
打算なしに人間扱いされている感じ。

営業スマイルっていやらしいものとされているけど、私は時々うわぁこりゃホンモノだと思ってしまう。
恍惚感というか、光に包まれてふわっと天界に引き上げられる感じがする。
天使か、マリアか、太陽のように感じてしまう。
ちょっと変だ。

逆にサービスしてますよ〜というウェットな厚かましい接客は苦手。
ドライで少し暖かい空気が好き。
スキゾイドは冷酷でロボットみたいとか説明されちゃうのはなんだか納得がいかない。
私にはこんなふうに感激家なところがあるんだけど、スキゾイドなのかちがうのか。うーん・・・
世の中ドライ&ホットな人がマジョリティーだったら幸せなのになあ。

一期一会という古くからある日本的感覚なのかしら。
ずっと一緒であなたのことを全部知りたいの、という今の恋愛至上主義とは真逆の感覚。
この頃近代化以前の日本的感覚というものに惹かれているのでこの辺りのことも知りたいなー。

とっても「喪」な気分

2008/10/20 02:04 [Mon]

人前では笑顔しか許されないのだろうか。

私は一時期、何か考えようとすると自分を追い詰めるような思考や物悲しさに捕らわれて涙が止まらなくなるという状態が続いていた。
それを悪化させて過呼吸になったこともある。
よくあるシチュエーションはお風呂に入ってるときと歩いているとき。
だからよく泣きながら歩いていた。

周りは気付かなかったのか、見なかったことにしたのか、私が周りが見えてなかっただけなのか、これといって弊害は感じなかった。
これを一度だけ人の大勢いるとき両親の前でやってしまい、驚かれるわなだめられるわ隠されるわで結構大騒ぎだった。
弱い人間と見られたのは屈辱的だったし、ひとりの時とは違って恥ずかしかった。

なんでかひとり外を歩きながら泣くのは恥ずかしくないんだよなー。
こんなに悲しむのは変だなと思ったけど、こんなに悲しいんだから泣いてしまうのはしょうがないじゃないなんて思っていた。
ただ私が個人として特定される状況では泣くのは許されていないし、私自身がすごく恥ずかしいし屈辱的だと感じる。
“笑顔の君が一番”というか笑顔じゃないと迷惑というかKYというか、とにかく人に対しているとき泣くのは非社会的行為なわけです。


私は笑い声に満ちるキャンパスに居るのが苦痛なんだ。

若者の爆発的な笑い声は時に攻撃的に突き刺さる。
負の感情を振り払おうとするかのように彼らは笑う。
笑い声が痛いのはきっと私がよろよろと屈み込んで微細な負の感情を拾おうとするからだ。
そういう私の態度を嘲笑われているように感じてしまう。
それでも私が泣き虫病を克服できているのはこの負の感情を見つめて肯定してやることなんだからやめるわけにはいかない。
こういう原因だから苦しくてあたりまえじゃーん、とやるのはこじつけでも勝手な納得でも癒しになる。
あと自分の苦しさはもっと普遍的なもので、私が苦しむことは他人の苦しみを考えることでもあると思い込むこと。
苦しむことに意味はあると思い込むだけで半分ぐらい苦しみは軽減したような気がする。

気に障るのはそういった爆発的なバカ笑いだけじゃない。
大学に溢れる笑い声、明るい声、弾んだ声がなんだかニセモノめいて聞こえてしまう。
楽しくしなくてはならないから無理して楽しくしているような気がする。
時には“気”なんてもんじゃなく確信していることもある。
そうするとイライラしてしまう。
そんなの苦痛だからやめちゃえばいいじゃん。
こーいうのをよいコミュニケーションと言っていいのだろうか。
まあ社会的ではあるんだろうけどさ。


最近「喪女」という単語を覚えて自分の心境にぴったりだなーと思ったけど喪女自体はめそめそ泣いたりなんかしなそうだった。
や、わたしにも喪女的な要素はかなりあるんですがね。

で、「喪」という言葉が気に入ったので改めてみてみると、「喪に服する」って社会的に悲しみとか怒りとか後悔とか負の感情が許されている状態なんだよね。
なんかもうこの文章の帰結がもう予測できてしまうと思うんですが、現在「喪」のシステムは上手く働いてないんじゃないだろうか、そしてそれは少なくとも私は必要としているよと小さな声で叫んでみる。

人や動物が死んでもなるべく泣かない方がいいという空気がある。
泣き女とか朝鮮や中国のオーバーな嘆き悲しみ方というのもなんだかばかにできない。
あれは馴染まないとしても、みんなで悲しみを噛みしめるという状態は癒しになるだろう。
人が死んだ時に限らず社会的に負の感情が許されている状態というのは、昔は宗教的儀式として日常に組み込まれていたんじゃないだろうか。

キャンパスでは常に「祭り」の空気であり、「喪」の空気は追いやられている。
私はどちらかというと無宗教なんだけど、宗教的な空気、「喪」の空気というものが日本ではあまりにも邪険にされてるんじゃないのと思うんです。
反動で「千の風になって」なんかが流行ったりしてるけど、あれをお店で流すのは勘弁して欲しい。
一気に空気が変わってびっくりする。

それからカタルシスという感覚が以前は理解できなかったけど、今はすごく腑に落ちるんだよね。
人が死んだり悲しんだり苦しんだりすることのどこに快があるんだと思ってたけど、つらい経験がなかったり鈍感だったり、もしくは自分のつらさをごまかしているときはカタルシス的なものを受けつけないんだろう。

つらい経験がない、または鈍感で心がタフな人に一緒に苦しめ〜と引きずりおろしたりなんで苦しくないわけ?と逆ギレしたくなるときもあるけど、そんな権利は私にはない。
しかし「喪」の空気だってつらい人、つらさをごまかしている人のために許されていてもいいじゃないの。

モリッシーとかThe Smithsとか流行るのが可能なイギリスが羨ましかったりして。(日本でも80年代あたりまでは「喪」の空気が感じられて羨ましい。)
レンタルしてふーんとあまり引っかからなかったが、日本語訳見ないで聞くなんてアホたれですね自分。
また借りてこよう。

つらさが必死で隠蔽されてゆく感じがどうにも怖い。

いま、やばいぜ日本。
憂国憂国。


結局は先ほどの「私の苦しみはもっと普遍的なもの」であって欲しいということではあるんだけど、憂国だの国が悪いだのでスッキリ自己完結思考放棄はしたくない。
もっと個人的なことに還元してゆかなくては。

私が「喪」な気分を発信することで少しでも「喪」の空気が広がればいいな。
それぐらいしかできない。
無力無力。

キリスト教の救いはいずこ

2008/09/29 00:32 [Mon]

テーマごとにまとまったことを書けそうもないので、“今日思ったこと・考えたこと”というふうにした方がアップしやすいな。
もーほんとお手上げ状態の走り書きがアップされずに溜まるいっぽうです。
今日は福永武彦『草の花』を読みながら、あ、またかよっと思ったんでキーボードを打つことに。

読書をするようになってから読む本読む本キリスト教にぶつかる。
そういった本に共感する私もまたキリスト教について考えるべきなのだろうとキリスト教の講義をとってみたもののどこかとらえどころがない。
講義を受け持っている牧師には自分の信仰を必死に論理武装しているような印象を受けた。
本当の信仰を持つのならいちいちこちらの疑惑を先読みして必死に納得させようなんてしないと思う。
その人の不安定で一貫性のない信仰が講義ににじみ出ていた。
そういう過敏な先読みにや必死さのせいで生徒との距離は遠ざかっていったような気がした。
私はこの講義、イライラしたり頭が痛くなったりするので後期は取り消すことにした。

そもそも聖書っていくらでも解釈をこじつけることができる。
悪い方に利用しようと思えばいくらでもできるし、実際に歴史を振り返ればいくらでも出てくるでしょう。
今となっては非科学的で間違っている部分だってある。
そういうところを客観視しないでまたさらに解釈でねじ伏せているのがなぁ。
キリスト教が同性愛を認めないというのはもう仕方のない事実でごまかしようがないよ。
私はキリスト教の良い部分を知りたかったのに、牧師の必死に正当化してキリスト教にすがろうとしている姿が焼きついてしまった。


キリスト教の中枢をなす良い部分って、救済とか自己犠牲だろうか。
この自己犠牲というのが私の中では混乱している部分で、自己犠牲って自分のためにすることなのか他人のためになのかよくわからない。

例えば弱い人を救うという行為。
自己犠牲が最終目的ならば、救われるだけでなく誰かを救わなければならない。
救われた弱い人は救われただけでは最終目標を達成できないのだからさらに弱い人を探す。
チャリティー番組でもそうだけど救う救われるの上下関係ができてしまう。
弱い人だって救われるだけじゃなくて、誰かを救うことに満足感を得るんじゃないか。
救われれば救われるほど惨めな気分になりはしないか、救いの手を振りほどきたくはならないか、チャリティー番組に出てくる弱者を見ていると心配になる。
(あと、とにかくがんばるのがいいというのも)
弱者を救うのが好きな人は救われる側のこういった感情を無視していないか。

やはり強い人ほど誰かを救いやすく、弱い人ほど誰かに救われやすい。
誰かを救うという満足感は平等に配分されない。

自己犠牲が究極のところまで行くと、誰かのために死ぬ、しかも義務感を全く感じずに自ら進んで、ということになる。
自己犠牲しなくちゃならないよといっているキリスト教を信仰していない方が本物っぽい。
あと誰にも知られずというのも必要か。
そこまで極めようとすると何かのためというより自己犠牲愛の証明って感じだ。

何かを愛するという状態は幸福感に溢れている。
それだけで見返りはいらない。
私は愛ってそういうものだと思っている。

それが自己犠牲愛にまでいかなければならないのか。
そもそも愛は行為なのか。
無理やり何かを愛するということは可能なのか。

私は何かを愛せるというだけで自分は救われると思うのだけど。
今は何かを愛するという幸福感を久しく味わっていなくて、愛そうとしたってできるもんじゃないから困っている。
愛せよ、と言われたって困る。

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織日屋ユージ−ン

Author:織日屋ユージ−ン
彷徨えるダウナーな腐女子です。
どうやらスキゾイド(分裂病質人格障害)らしい。
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興味があちこちに拡散中。
極度ののインドア人間。
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